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INFO:
キャンディーズは、1970年代に活躍した日本の女性3人組のアイドルグループ・コメディエンヌです。キャンディーズのメンバーは3人で、立ち位置がセンターが多かったのは、伊藤蘭(いとう らん=愛称はラン)(Ran Itō)は、俳優の水谷豊(みずたに ゆたか)(Mizutani Yutaka)と結婚して、本名は水谷蘭(みずたに らん)になりました。キャンディーズでは、メンバーカラーは赤でした。蘭ちゃんは、現在も日本の女優、ナレーター、歌手として芸能活動を続けていて、現役で活躍されています。藤村美樹(ふじむら みき=愛称はミキ)(Fujimura Miki)の立ち位置はほぼ左側で、メンバーカラーは黄でした。1983年に結婚を機に芸能界を引退されました。立ち位置は右側が多かったのは、田中好子(たなか よしこ=愛称はスー)(Tanaka Yoshiko)。1956年(昭和31年)4月8日 - 2011年(平成23年)4月21日(がん細胞組織が急激に増殖するラッシュ状態となり、肺や肝臓にもがんが転移し55歳の若さでこの世を去り、天国に召されました)メンバーカラーは青でした。1991年にた夏目雅子の実兄で実業家の小達一雄と結婚しましたが、結婚翌年の1992年に乳癌が見つかり、幾度か癌の再発を繰り返していましたが、いずれも早期発見で秘密裏に治療を受けながら、スーちゃんは芸能活動を続けていましたが、闘病の事実は親族のみに伝えられ、盟友であるランちゃんとミキちゃんですら、伝えられたのはスーちゃんの死の約3年前で、共演者には一切明かされていなかったという。長年の盟友だったランちゃんとミキちゃんは、スーちゃんが危篤状態になった際、「2人とも家族同然だから」という親族の計らいで病室に呼ばれ、スーちゃんが息を引き取るまで、7時間にもわたってスーちゃんの名前を呼び続けていたそうです。葬儀ではミキちゃんが「私たちは永遠にキャンディーズだから」と語りかけ、ランちゃんは「もう一度だけでいいから、(キャンディーズの)3人で逢いたかった」と涙を堪えながら弔辞を読みました。全国キャンディーズ協会のメンバーなどがスーちゃんの霊柩車に向けて、青いテープを投げ入れ最後の別れを告げました。 キャンディーズの所属事務所は渡辺プロダクションでした。キャンディーズの多くの楽曲は、当時渡辺音楽出版の社員だった松崎澄夫のプロデュースによるものでした。 キャンディーズの活動期間は、1973年 - 1978年でした。 「危い土曜日」(あぶないどようび)(Dangerous Saturday)は、1974年4月21日に発売されたキャンディーズの3枚目のシングルです。 (B面が「青春の真中」)1974年4月21日に発売されたキャンディーズの3枚目のシングルです。 「あなたに夢中〜内気なキャンディーズ〜」に続いて、キャンディーズ2枚目のアルバム初期のプレス分では、ジャケットなどに印刷されたタイトルは「危い土曜日〜キャンディーズの世界〜」(あぶないどようび キャンディーズのせかい)でしたが、その後、シングル曲「危い土曜日」との統一性を図るため、タイトルが『危い土曜日〜キャンディーズの世界〜』に修正されましたので、初期のプレス分は希少価値がありそうですね。2008年9月3日にリリースされたCD-BOX『キャンディーズ・タイムカプセル』に収納された紙ジャケット盤には、初期分のジャケット写真の刷りだしが同封されています。初期のプレス分は、1974年6月21日に発売されました。LP帯(レコードに付けられる帯で、日本盤独自のものです。日本のレコード業界が洋楽レコードの内容を紹介するため、1950年代頃から帯を付けたのが始まりとされています。帯が付いた日本盤レコードは、日本国外でも人気が高いとか...。収集家は帯にこだわるため、中古市場では帯の有無で買取価格、販売価格が異なることが多いそうです)コピーは、”キャンディーズ・セカンド・アルバム! フレッシュでキュートなキャンディーズの世界!”でした。 1. 危い土曜日 2. 桜草のかなしみ 3. そよ風のくちづけ 4. 青春の真中 5. 黄色いビキニ 6. あなたに夢中 7. まぬけなキューピット 8. 涙の乗車券 9. イエスタデイワンスモア 10. 夢のカリフォルニア 11. バス・ストップ 12. 小さな悪魔 の全12曲がアルバムに収録されました。ランちゃんが白いギターを膝の上に置いていて、スーちゃんがティーカップを手にし、ミキちゃんは何やら照れているように両手を頬にあてている。3人で明るくおしゃべりしている様子がとても自然ないいアルバムジャケット写真でした。当時は、まだそこまでキャンディーズは売れていなかったのですが、楽しんで歌っている3人の良い雰囲気がこの1974年6月発売の2ndアルバム全12曲から伝わってきます。レコードではA面に相当する前半6曲には、「あなたに夢中」、「そよ風のくちづけ」(1stアルバムに収録されていた「盗まれたくちづけ」のリメイク)、「危ない土曜日」というそれまでのシングルをすべて収録されました。特筆すべきは、1stアルバムではオリジナル曲の作詞はすべてが山上路夫でしたが、2ndアルバムでは「危い土曜日」と「青春の真中」の2曲の作詞を安井かずみが手がけていることです(作曲はすべて森田公一です)。いずれの曲も年頃の女の子の不安定で繊細な心理をみごとに描かれていました。 「危い土曜日」は、発売元はソニー・ミュージックレーベルズ(SML)の社内レコードレーベルSMEJ(ソニー・ミュージックダイレクト)(Sony Music Direct)で、 1997年11月21日発売の「GOLDEN J-POPu002FTHE BEST キャンディーズ(ゴールデン・ジェイ‐ポップ・ザ・ベスト キャンディーズ)」と、発売元はソニー・ミュージックハウスで、2002年6月19日発売の「GOLDEN☆BEST キャンディーズ(ゴールデン☆ベスト キャンディーズ)」にも収録されています。 「危い土曜日」は、オリコンチャート最高順位46位で、アイドルとしては微妙な順位ですね。「危い土曜日」は、過去シングル2作(「あなたに夢中」と「そよ風のくちづけ」)から一転してホーンやストリングス、コンガなどを強調したハイテンポで、R&B的な黒っぽさが漂う、緊張感いっぱいのアッパーチューンな曲調になっていて、この曲のアレンジをした竜崎孝路(りゅうざき こうじ)は、演歌の歌を作るイメージが濃い方なので、アイドルの歌を作るのは意外でした。これ以降のキャンディーズのライブでの定番曲になったのですが、キャンディーズがリリースした18枚のシングルの中で、一番「売れなかった」曲というのは不思議ですね。 「危い土曜日」は、スーちゃんがセンター・ポジションでした。そして、意気のあった独特な合いの手や声援を入れる親衛隊のような熱烈なファンが出現し、私的に応援活動・身辺警護をする組織、全国キャンディーズ協会(略称「全キャン連」)の前身がこの頃、かたちになり始めていて、1975年10月に蔵前国技館で開催されたコンサート、「キャンディーズ10000人カーニバル」を主催した「キャンディーズ・カーニバル実行委員会」が母体となり、1976年に「全国大学生キャンディーズ連盟」が発足したものと推測され、更に「全国キャンディーズ連盟(全キャン連)へと発展してゆくのでした。「全キャン連」の活動は、キャンディーズが活動停止した事で、解散していましたが、2023年12月31日に放送された第74回NHK紅白歌合戦ではキャンディーズ時代以来46年ぶりの出場となったランちゃんの応援で、「全キャン連」のメンバー150名超が会場に集まりコールや紙テープ投げを披露し話題となりました。 「危い土曜日」は、ARIEL(エリアル)(笹本祐一による日本のSF小説で、イラストは鈴木雅久(すずき まさひさ)で、ソノラマ文庫(朝日ソノラマ)より1987年3月から2006年2月まで刊行された (日本のSF小説)のタイトルからとった、富沢美智恵(とみざわ みちえ)=旧芸名は富沢 美智江(とみざわ みちえ)、水谷優子(みずたに ゆうこ)、林原めぐみ(はやしばら めぐみ)グループ名)が歌う、OVA(オーブイエー=アニメのオリジナルビデオのことで、オリジナル・ビデオ・アニメの略です)作品『ARIEL 接触編 THE BEGINNING』のエンディングテーマになり、1991年1月に編曲を田中公平が担当して、カバーされていて、シングルが発売されました。他にも、女性1名(樋口舞(ボーカルのひぐち まい)、男性3名(田口慎二(ギターのたぐち じんじ))(縫田隆(ベースのぬいだ たかし))(森秀輝(ドラムのもり ひでき))で構成される日本のバンド歌姫楽団(うたひめがくだん)(Utahime Gakudan)が、(2006年8月に、全8曲を収録したアルバム『彩色千輪菊(さいしょくせんりんぎく)』)の中で「危い土曜日」をカバーしています。また、THE ポッシボー(略称はポッシ)(改名後は、チャオ ベッラ チンクエッティ(Ciao Bella Cinquetti))は、2006年 - 2018年活動していたJ-POP(アイドル)で、THE ポッシボーとして活動していた2007年3月に、つんく♂のプロデュースで全5曲収録したアルバム『①Be Possible!(1ビー・ポッシブル)』)で「危い土曜日」をカバーしました。